ショウキチシリーズ
番外編「どうしてそんなもの食うの!」
世の中には信じられないようなことをする人がいます。中には信じられないようなものを食べる人もいます。常識では計り知れない不可思議な現象・思考・行動・・・
我が、水泳部副キャプテン、ナイサン(仮名:当時18歳)も、その内の一人といっても過言ではないかも知れません・・・私達が二年生の夏の合宿のときに、その習性がほぼ明らかになったのですが、ミカンの缶詰を砂浜にぶちまけて、一つずつジャリジャリと食べてみたり、海岸に打ち揚げられて乾燥しているガッチョ(ハゼの一種)の干物をそのまま食べてしまったりしていました。
それについては本人は「酔ってたから憶えてない」と言い張るのですが、その言葉をそのまま鵜呑みにするような私達ではありませんでした。
そして、一歩間違えば人命に関わるような、あの恐ろしい出来事が起きたのは、私達が三年生になり、現役を引退したあとのこと・・・エジキになったのは、一年生のオガワ君(仮名:当時16歳)でした。
三年生は、引退したこともあり、部活動には出なくても良い立場にあったのですが、部活が面白くて仕方がなかった私達は、ほとんど一日も欠かすことなく、顔を出していました。ある日、私がいつものようにプールの更衣室に行くと、なにやら一年生がざわついた様子。
「どうしたんや」
と私が聞くと、一年生のひとりが、
「今日、オガワ休んでるんです」
と、答えました。
しかし、どうもただ休んだだけ、という雰囲気ではありません。私は、不安に思う気持ちを悟られないように、出来るだけ自然に聞きました。
「なんで休んだんや」
また同じ一年生が答えました。
「なんか、脱水症状になって病院で点滴受けてるらしいですわ」
「なんでや」
「それは・・・いや、ちょっと・・・わかりません・・・」
わからないというより、答えたくないという感じを受けた私は、それ以上深く聞くのを止めました。しかし、体力の塊のような、その当時の私達にとって、点滴を受けるなどということは、尋常なことではありませんでした。
私は、もしかして一命に関わることではないか、という不安を抱いたまま、その日の部活を終えました。オガワが休んだことについては、誰も言及する者はいませんでした。しかし次の日、オガワが元気に部活に出てきました。ホッとした私は、本人に聞くのが一番だと思い、昨日休んだ原因をオガワに問い詰めました。
どうせ、たいしたことではないのだろうと、冗談混じりで聞いた休みの原因の裏に、まさかあんな恐ろしい事実が隠されていようとは、そのときの私は知る由も有りませんでしたから・・・「実は・・・、でもナイサン先輩には僕が言うたって、言わんといて下さいよ」
言いにくそうに喋り出した、オガワの話はこうでした・・・休んだ前日、授業が早く終わったオガワは、プール前の階段に座って他の部員が来るのを待っていました。
そこへ現れたのが、ナイサンでした。
ナイサンは、オガワと並んで座り、しばらくは二人で何気ない話を続けていました。
そのときです。ふと階段の隅を見たナイサンがあるものを見つけてしまったのは。オガワにとって悲劇の始まりでしかないあるものを・・・それは、二つの乾燥したナメクジの干物でした。
その一つを手に取ったナイサンは、まったく素の顔をしたまま、まったく普段通りの口調で
「食え」
オガワに命令しました。
水泳部に入って、まだ一年も経たないオガワには、ナイサンのその短い言葉が、何を意味しているのか理解することが出来ませんでした。
普段、みんなにとても優しく接し、運動をすることだけにはとても厳しかった部長のショウキチに比べて、頼り甲斐のある存在であった副部長のナイサン。
引き締まった身体に優しい風貌をたたえ、水泳部の中で、唯一、女生徒にも人気があったナイサン。
そのナイサンに、そういう習癖があると噂には聞いていましたが、そのときまでオガワには信じることが出来ませんでした。呆気に取られたオガワの顔を尻目に、ナイサンはもう一度言いました。
「食え」
「そんなん食えませんよ」
「ええから食え」
オガワの悲壮な顔が、目に浮かびます。
異能の人が多い三年生の中で、この人だけはまともだと思っていたことが、無残にも裏切られたこと。まともそうな人が、実は一番危ないということを、普通の人は社会に出てから経験するのでしょうが、このときオガワは、若干16歳で体現させられてしまいました。ナイサンはさすがに可哀想だと思ったのか、一つの提案をしました。
「ほんなら、オレも一つ食うから、おまえもひとつ食え」
しかし、この提案は、オガワにとっては何の問題解決にもなっていません。
そんなオガワの苦悩を理解する思考を持たないナイサンは、乾燥ナメクジの一つを、パクッと食べてしまいました。もう、オガワには逃げ場は残されていません。
普段通り、優しげに見えるナイサンの少し垂れた目は、その時のオガワにとっては、深淵に開いた地獄の入り口に見えたことでしょう。
哀れ、オガワ君は、生まれて初めて、乾燥したナメクジを口の中に放り込むという、悲しい結末を迎えてしまったのです。「・・・というわけなんです。ほんまに、ナイサン先輩には僕が言うたって言わんといて下さいよー」
オガワを、脱水症状で点滴を打つ羽目に追い込んだ原因と思われるこの話を、彼は医者にも言えなかったそうです。話を聞き終えた私に、一つの疑問が浮かび上がってきました。
しかし、その疑問はある意味、疑問にもならないことだったかも知れません。
(どうして、ナイサンは無事なんだろう・・・)
やはり、三年生ともなると、鍛え方が違うと、情けなくも誇りに思った出来事でした。