ショウキチシリーズ

第五話「隙あらば・・・」


 水泳部の伝統的な習慣に、
『注意をされなければ、他人(水泳部員のみ)の食べ物を取っても良い』
というのがありました。

 俗に「食い物の恨みは恐ろしい」と言いますが、水泳部のメンバーは特にその傾向が強く、食べ物に対する執着心はまるで地獄の餓鬼の如く、食べられるものは何でも食べる。いえ、食べられないものまで食べようとする執念が、あの悲惨な「オガワ君事件」を生み出してしまったのでしょう。

 さて『注意をされなければ、他人の食べ物を取っても良い』ということですが、なんでもかんでも取ってもいいかというと、そんなことはありません。そこには厳格なる不文律も存在したのです。それは『注意をされていれば取ってはいけない』ということです。何かよく解らないと思われるでしょうが、たとえば普通に食事をしているとき。これは、食べている人はその食べ物に注意を払っているわけですから取ってはいけません。また、何らかの理由で食べ物を置いたまま席を離れるときは「取るなよ!」とか「食べたらあかん!」と、声を掛けておけばそれを食べるのはタブーになっていました。では、どんなときなら良いかというと、食べ物の前にしっかりと本人が居る、あるいは食べる本人がパンなどを手に持っているにも関わらず、その本人の視線が食べ物から外れ、完全に気が他へ移ってしまっているとき。

 人間は誰しも、フッと気の抜けるときや考えられないミスを犯すことがあります。それが、飛行機の操縦士や電車やバスの運転手だった場合、大惨事につながる恐れもあります。今回のお話も同様に、信じ難い一瞬の気の迷いが招いた、残忍な、思い出すだけでも背筋が凍るほどの悲惨な出来事なのです。

 

 私は高校時代、ほとんど毎日お昼はお弁当でした。今から考えると、毎朝持たせてくれたお弁当には、母の愛情がこもっていますし、無駄にお金を使わずに済みますし、たとえ毎日のオカズがピーマンとチクワの炒め物と卵焼きだけであったにせよ、ありがたいものだったと思えます。しかし、当時の私はお弁当ばかりの毎日が嫌で仕方がありませんでした。ですから、何かの都合で学食へ行くことは、私にとって素晴らしい特別な日になったのです。

 その日も、どういう訳があったかは忘れましたが、珍しく学食でお昼を食べることになったのです。

 もう私は朝からお昼ご飯が楽しみで楽しみで、普段は懸命に授業を聞いているのですが、その日は午前中の4時間の授業を上の空で過ごしてしまいました。

 そして遂にお昼のチャイムが鳴り、私は学食へとダッシュを掛けました。メニューは既に決まっています。普段のお弁当の中には絶対に入ることの無いもの。そう、ボリュームがあってお腹がふくれ、しかも肉!!!

 鈍足の私がオリンピック記録も塗り替えるのではないかという速さで学食に辿り着くと、切れた息を整えるのもそこそこに、
「ハンバーグ定食!」
と、学食のおばちゃんに注文をしました。

 それから、ハンバーグ定食がトレーに盛られていくのを待っている間は、私にとって至高の幸せを感じていられる時間でした。その私の数分後に、あのおぞましい悲劇が待ち受けていようとは・・・

 意気揚々とハンバーグ定食の乗ったトレーを持って空いている席を探していると、ちょうど友人が座っている隣の席が二つ空いていることに私は気付きました。

 その友人が誰だったのかは記憶にありませんが、年に数度しかない学食での昼食に、私の心は舞い上がってしまっていたのでしょう。左隣の友人と言葉を交わしながら、少し離れたところにあったソースを取ってもらい、目の前にあるハンバーグに掛けようとしたときのショックを、私は生涯忘れることは出来無いでしょう。

 ほんの数秒前までそこにどっしりと空間を占めていたハンバーグが、なんの痕跡も残さずに消滅してしまっていたのです。私がソースを掛けようとしたプラスチックのお皿には、薄緑色のキャベツだけが申し訳なさそうにのこっています。

 四次元、宇宙人、タイムワープ、ブラックホール。

 頭の中をそんな言葉たちが交錯していき、ハンバーグが消え去ってしまった謎を解明しようとする思考もまとまらず、今にも発狂してしまいそうな私は、ふと右隣にある人の気配を察知しました。

 私がゆっくりと右を向くと、そこには、ヒマワリの種を口いっぱいに含んだハムスターのように頬をはちきれんばかりに膨らませた、ショウキチが居ました。

 左隣の友人が腹を抱えて笑っている声は私の耳に届くことは無く、私はただ呆然と、モゴモゴと口を動かしながら笑いをこらえているショウキチと見つめ合っていることしか出来ませんでした。

第四話   目 次

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