ドアを開けると・・・
===結婚しませんか?===

 

 ドアを開けると、一人の青年が立っていた。年の頃なら27・8歳の爽やかなサラリーマン風の青年。しかし、ひま子は見覚えが無い。
「結婚しませんか?」
 その青年は、ぺこりと頭を下げると唐突にそう言った。
「はあ〜?」
 いきなりのセリフに、ひま子は少し当惑した。しかし、元来の気丈さですぐに気を取り直し、
「ふざけんといて!」
と、ドアを閉めてしまった。

 

 全くふざけてる。どうせ新手の押し売りか勧誘だろう。人を安っぽく見るにも程がある。
 ひま子は、そういう思いを巡らしながら、だんだんとむかっ腹が立ってきた。
(ちょっと、飲みに行こ)
 日が暮れると、ひま子はそそくさと仕度をし、昼間の青年がまだその辺りにいないかどうか注意を払いながら出かけて行った。

 

 数時間後、ひま子は大通りに掛かっている歩道橋を渡っていた。
 行き付けのバーで軽く引っ掛け、昼間のむかっ腹も収まったので、ほろ酔い気分で帰宅しようとしているところであった。
 ふいに、後ろから肩を叩かれた。ひま子が振り向くと、昼間のあの青年であった。
「こんなところで偶然会えるなんて。なんという幸運なんだ」
 ひま子が呆気に取られているのも構わず、青年は話し続けた。
「いや、勘違いしないで下さい。僕はストーカーをしているわけではありません。本当に偶然なんです。いやー、しかし嬉しいなあ。こんな形で再会できるなんて。やっぱり、僕達は運命の糸で結ばれているんでしょうか。僕は・・・」
「なんやのん、あんた!ふざけんのもええかげんにしてや!」
 青年の話しをさえぎって、ひま子は怒鳴った。
「人を馬鹿にしてからに!ナンパするんやったら、もっとましな誘い方しぃ!アホ!」
「違うんです。そんな不真面目な気持ちじゃないんです。僕は真剣に・・・」
 必死になってひま子に話し掛けようとする青年を尻目に、ひま子はさっと踵を返した。
「本当なんです!ひま子さん!待ってください・・・もし、もう一度偶然があったなら、その時こそ・・・」
 去って行くひま子の後姿に、青年は熱情的に言葉を投げ掛けていた。

 

(なんやのん、いったい。ほんまにアホとちゃうやろか)
 家に向かうタクシーの中で、ひま子は思った。一応、あの青年に後を付けられていないか注意を払ってはいたが、もし電車の中ででも声を掛けられると迷惑なので、タクシーにしたのだ。
(ほんま、なんで私がタクシーなんかで帰らんとあかんのん。えらい出費やわ。今度会うたらタクシー代、返して貰わんとあかんわ)
 今度会ったら・・・、そこまで考えて、ひま子は少し首を振りながらため息をついた。
(今度会うたら・・・なんかそんなこと、言うてたなぁ。そやけど、あんな奴、初めてや)
 外見に怪しいところは、別段見当たらなかった。容姿も、ハンサムとまでは言えないが決して悪くもない。品の良いスーツを着て、いかにもサラリーマンといったアタッシュケースを持ち、背もスラッと高かった。
 要するに、ひま子の嫌いなタイプではなかった。どちらかといえば好ましい方の部類であろう。
(そやけど、やり方が気に入らん。今度会うたら・・・いや、今度はもう無いんや)
 心の中で、何度もそう否定しながら、しばらくするとまた、
(今度は・・・)
という思いが浮かび上がってくる。
 家に着いたひま子は、熱いシャワーを浴び、その考えを強制的に排除しながら寝るしかなかった。

 

 その3日後の夜。仕事で疲れたひま子は、いつものバーで、ひとりブランデーグラスを傾けていた。
 この3日間、あの青年のことが頭から離れない。
 今までにも、何人か言い寄ってくる男はいた。プロポーズをされたこともあった。しかしどの男も、ひま子を納得させる男ではなかった。
(あの兄ちゃん、最後は必死になってたなぁ)
 と、ニヤニヤしている自分に気付き、慌てて素の顔に戻る。そして、歩道橋の上で再会したときの、青年の爽やかな笑顔を思い出し、またニヤニヤする。
 そんなことを繰り返しながら、
(今度会うたら・・・か、そんなことは無いわなぁ)
と、何十度目かの否定をしていた。
 そのときであった。
 平日の夜の、客の少ないそのバーの扉が開いた。
 そして、入ってきたのは正に、あの青年だったのである。
「ひま子さん・・・」
 その青年の、本当に驚いた顔を見て、ひま子はこれが仕組まれたことでは無いと悟った。そして、少女のようにドキドキし出した自分の心に気付いたが、それがブランデーのせいでないことも明らかだった。
「本当にまた会えるとは・・・思ってもみませんでした・・・もう、諦めていたのに・・・。でも、こうして会うことが出来て本当に嬉しいです。僕はあなたにちゃんとお話しがしたかった。ちゃんと話さなくてはいけなかった。僕はあなたに・・・」
 そこで、ひま子は青年の言葉をさえぎった。
「わかったわ・・・負けた・・・みなまで言わんとき。そやけど、いきなり結婚ちゅうのは無理やで。ちゃんとお付き合いして、いろんなお話とかしてからやで」
 青年は、満面の笑顔を見せた。そして、心底嬉しそうに話し出した。
「本当ですか!ありがとうございます!そりゃあ、いきなり結婚だなんて誰でも出来ませんよね。当社のシステムはその辺もちゃんと踏まえております。特に今、30歳代の女性に向けて大キャンペーンを企画しておりまして・・・当社のシステムで、既に2万組のカップルが誕生・・・」
 ひま子はまた、青年の言葉をさえぎった。しかし、今度は言葉でではなく、逆手に持ったブランデーの瓶を青年の頭に振り下ろすという方法で。

 

目 次    NEXT

トップに戻る