第一話 少年

 

 民夫は、九州はS県にある、S高校の二年生で水泳部に在籍していた。

 S高校は県立なので、さしたる実績の無い水泳部に多額の予算が回ることも無く、通常の学校と同じようにプールは屋外にあり、水泳部が泳ぐことができるのは、春から秋にかけての気候の良い時期に限られていた。毎年行われている夏の合宿も、プールの更衣室に寝泊まりするという方法がとられている。

 その年の夏も、例年通りに学校のプールを利用して行われることになった。

 初日の練習が終わり、夕食も済ませた民夫たち水泳部員は、狭く暑苦しい更衣室ではあったが、親元を離れて、仲間たちとの集団生活の開放感を満喫するように、お喋りやトランプなどに興じていた。

 ワイワイガヤガヤと喧しい中で、一人の三年生が、ふと何かに気付いたようにキョロキョロと辺りを見回した。

 その三年生の姿を見た民夫も、同じようにある音に気が付いた。

「水が出てるぞ」

 最初に気付いた三年生が、民夫に向かって言った。

「そうですね。ポンプのバルブを閉め忘れたみたいです」

と、民夫は答えた。

 水泳部の部活動が終わると、水が減った分だけプールに水を入れてやらなければならない。

 その水を供給するためのバルブの開け閉めは、一年生の仕事になっていた。

 民夫は、当番の一年生を呼び付けると、バルブを閉め忘れていることを叱り、栓を閉じてくるように命じた。

 当番の一年生は、心の中では(確かに閉めたはずなんだが・・・)と、思っていても、上級生には逆らうことが出来ないので、不承不承ながら、プールサイドへバルブを閉めに行った。

 それが、第一日目のことであった。

 そして、二日目の夜のこと。

 さすがに、二日目にはみんな疲れてきたのか、一日目ほどお喋りも多くなく、宿泊所である更衣室はわりあいに静かであった。

 そんな中で、一日目と同じような時刻に、また、ポンプの水の音が聞こえてきたのだ。

 今度は、みんなが顔を見合わせた。

 民夫が、

「さっきまでは聞こえていなかったぞ」

と言うと、他の部員たちも、

「確かに、そうだ」

皆が民夫に賛同した。

 では、誰かのいたずらであろうか。

 しかし、更衣室の中には、部員全員がそろっている。プールサイドのポンプのバルブの所へは、更衣室を通って行くか、または、プールの周りの高い金網を乗り越えなければならない。

 一年生の一人が、プール側の扉をそっと開けて、バルブのある場所を見てみたが、そこにはすでに誰の姿も無かった。

「たちの悪いいたずらをしやがる」

「他のクラブの奴の仕業かな?」

「見つけたらただじゃおかないぞ!」

 部員たちは口々に言いながら、それでも、その日はバルブを閉めて寝るしかなかった。

 二日目の夜は終わった。

 そして、問題の三日目の夜。

 晩御飯を早めに済ませた水泳部員たちは、更衣室で静かに時を待った。

 しっかりと、ポンプのバルブを閉めたことは確認した。

 プールサイドには隠れるような場所は無いので、唯一の隠れ場所である倉庫も点検した。

 そして、時間がきた。初日、二日目に水の音が聞こえてきた時刻である。

 一瞬、全部員が息を飲んだ。

 はたして、水の音が聞こえ始めたのである。

 プール側の扉に貼り付いていた一年生が、勢い良くドアを開けた。

「いた!」

 その一言で、狭い扉に部員全員が殺到した。

 そして、全員が見た。

 一人の少年が、屈み込むようにしてバルブを回していたのだ。

 部員たちの物音に気が付いた少年は、すっくと立ち上がり、プールサイドの奥に向かって駆け出して行った。

「こらっ、待て!」

「回り込め!」

 昨日から打ち合わせていた通り、部員たちはプールサイドを左右から回りこむように、その少年を追い掛けた。

 プールの回りのフェンスは、ゆうに2メートルはある。

 駆けて行く後ろ姿から判断すると、小学校2・3年生ぐらいの少年なので、たとえフェンスをよじ登ったとしても、上がりきる前に簡単に捕まえることが出来るだろう。プールサイドの両側から追いかけているので、もう、追い詰めたも同然であった。

 水泳部員の皆がそう思ったと、後から民夫は聞いている。

 少年は、フェンスのすぐ手前、2・3メートルのところまで来ていた。

 追いかける部員たちも、すぐに少年に追い付く位置まで来ていた。

 少年は、走りながらチラリと後ろを振り返って、ニタリと笑った。

 少年の、その顔を見た部員たちは、背筋にぞっと悪寒が走り、追い掛ける足が一瞬鈍った。

 そして、部員たち皆が見ている目の前で、少年はするりとフェンスを擦り抜けていった。

 フェンスまで来て、呆然と見送る部員たちを尻目に、少年はフェンスの向こうの草むらの中で忽然と姿を消してしまったという・・・

 

 

 この物語に登場する「民夫」とは、私が以前勤めていた職場の同僚でした。

 民夫は、このときに初めて、不思議な体験をしたのですが、これ以降、次々と「霊体験」を重ねて行きました。

 私はその話を、全て聞いたわけではないのですが、民夫の話には、今回のように、一人きりの体験ではなく、集団で体験した出来事が多く含まれています。

 私は、ほとんどの民夫の話を科学的に看破することが出来ませんでした。

 しかし、今でも「幽霊」が実在するとは、信じていませんけれども・・・

 なお「民夫」は、当然ながら仮名です。

 それでは、また、次の機会に。

 

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