(はす)の花

 

 ようやく、長かった梅雨が明け、そろそろ蝉の声が聞こえ始めた、ある初夏の日の朝のこと。

 小さな池がある公園の一隅で、5・6人の子供たちが元気な歓声をあげて遊んでいた。

 年の頃なら小学校3・4年生ぐらいであろうか。

 その中の一人に保田勇太という名の少年がいた。

 勇太は、成績は悪くはないのだが、普段、ボーっとしたり、ぼんやりとしていることが多かった。そのことと、苗字の読み方を組み合わせて、仲間から「ポン太」とか「ポン」とか呼ばれている。

 のんびり屋の勇太が、仲間内で小馬鹿にされながらも、不思議な人望があるのは、意外と勇太が博識家であり、のんびりとした中にも存外と強情っぱりな一面を持っているからであろうか。

 ただ、勇太は自分が正しいと思っていることを人に押し付けるきらいがあるので、友達連中と、小さな論争を起こしてしまうことがよくあった。

 しかし、そこは気の合った連中のこと、翌日にはお互い、論争のことなどケロッと忘れて遊んでいる。

 そんな「ポン太」と仲間たちが公園の池のほとりに集まって、今まで仲良く遊んでいたのだが、どうやら今日もまた、小競り合いが始まったようである。

 その池には、一面に蓮が生えていて、近所の人たちからは「蓮池」と呼ばれていた。本当は違う名称があるのだろうが、それを知っている者はほとんどいなかった。ただ、子供が落ちると危ないので、しっかりとした柵で囲われている。

 そして、池の蓮は、すぐそこまで来ている夏に備えて、まだ堅いつぼみをしっかりと閉ざしている。

 さて、勇太たちが論争になると、決まって、勇太ひとり対その他の子供達、という構図になる。

 そして、今日もその通りになっていた。

 すでに勇太は、目に涙をいっぱい浮かべながら、それでも強情を張り通している。

「咲く!絶対、音を立てて咲く!」

「咲くもんか!花が音を出すわけないじゃないか!」

 どうやら論点は、池にある蓮の花が音を立てて咲くのかどうか、と言うことのようだ。

 勇太は、蓮の花は音を立てて咲くと主張し、他の子供たちは音を立てるはずが無いと反論しているようである。

 いったい、勇太はどこからこんな話を聞いてきたのだろうか。

 蓮の花が咲くときに音を立てるというのは、昔から語り継がれてきた迷信である。

 たぶん、近所のお年寄りたちが話しているのを、勇太は小耳に挟んだのであろう。

 それを、いつもの調子で訳知り顔で仲間に喋ったのが、事の発端のようである。

 しかし、勇太はずいぶんと形勢が不利になってきた。もう、理屈も屁理屈もあったものではない。

「咲く!絶対咲く!」

の、一点張りである。

 それに対して、他の子供たちは団結心を強めていっている。

「咲かないよ!」

「そうだそうだ!」

「俺、聞いたことがあるけど、えらい学者さんが、たくさん、たくさん、蓮の花の咲く音を聞こうとしたけど、全部失敗したって」

「そうだそうだ!ケンちゃんの言う通りだ!」

「僕もきいたことがあるぞ、その話」

 こうなってくると、もう勇太は何も言えなくなってしまう。

 勇太ののどの奥から、ヒックヒックと嗚咽が漏れ始めた。

 友達連中も、勇太の泣き出すタイミングをしっかりと心得ていて、

「さあ、こんなバカポンほっといて、向こうで遊ぼうぜ!」

と、ガキ大将と思われる子供が先頭を切って走って行くと、他の子供たちも、

「バーカ、バーカ、バカポン太!」

「だからポンだって言うんだよ!」

と、めいめいに捨てゼリフらしきものを勇太に投げかけて、走り去って行った。

 勇太は蓮池を背にして、友達たちが駆けて行く後姿をじっとながめていた。

 勇太の両目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていく。

 くしゃくしゃになった顔を、泥だらけの手でこすりながら、

「それでも、音を立てて咲くんだい」

と、勇太が涙混じりの声で言ったときだった。

 ふいに、後から、

「ポン!」

と、呼ばれた気がした。

 勇太が、ゆっくりと後ろを振り向くと、そこには、真っ白な蓮の花が一輪、夏が来たことを告げていた。

 

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