「食わず嫌いじゃないんです」

 

 関西人は納豆を食べない、というのが通説ですが、私も御多分に漏れません。
 あれは、食べ物では無い、と思っている関西人(関西人に限ってのことでもないとも思いますが)は大勢おられることでしょう。納豆を食べる関西人は、
「あえて言おう、カスであると!!」
このセリフがぴったりきます。

 でも、食わず嫌いじゃないんです。過去、2度ほど挑戦してみました。
 私の家では、食卓に納豆が並ぶことはありませんでした。両親が島根県の出で、この際、出身地は関係無いんでしょうが、とにかく、両親が食べないから私にもその機会が無かったのは、これは私の責任では有りません。

 では、どうして納豆を食する機会を得たのか。
 一度目は小学校3・4年の頃。二度目は社会人になってから、出張先の民宿の朝ご飯でした。
 今からお話するのは、その一度目の方。
 私が、生まれて始めて、納豆の実物と出会ったときに起こった悲劇です。

 あれは、たしか小学校3・4年生の頃だったと思います。
 ある日の夕方、私が学校から帰ると、家には誰もいませんでした。親父は仕事、姉貴もまだ学校から帰っておらず、母は買い物にでも出かけていたのでしょう。賢いお坊ちゃまだった私は、大人しく居間でテレビを見ることにしました。
 その時代の、夕方のテレビ番組には、子供向けのものは無かったのでしょうか。
 何故か私は、ホームドラマを見ることになってしまったようです。そのドラマの中のワンシーンが、数十分後の私に、あのような悲惨な出来事をもたらすことになろうとは・・・

 問題の、ドラマのシーンはこうでした。
 何の変哲も無い、和式の居間の一室。真ん中に置かれたちゃぶ台。
 そこへ、右手から森繁久弥氏の演ずる、和服のおじいさんが現れます。片手にご飯が盛られたお茶碗。もう一方の手には、何かが入った小鉢を持っていました。
 森重久弥のおじいさんは、お約束の、正面中央にどっかと腰を下ろすと、お箸で小鉢の中のものを、グチャグチャとかき混ぜ始めます。その中に、醤油を垂らし、生卵を割って入れます。
 ある程度かき混ぜたら、ご飯の上にぶっ掛けて、モシャモシャと旨そうに食べ始めました。
 どうやら、お留守番をしているおじいさんが一人で寂しく納豆飯を食べる、という場面のようでした。

 そのシーンは、寝食を忘れて一心不乱に勉学に励み、ようやく帰宅したお坊ちゃまのお腹の虫を刺激するには、充分過ぎるシチュエーションでした。
 しかし、もしその時の私の心理状態が正常の場合なら、卵かけご飯か、インスタントラーメンなどで、その場を済ませていた筈です。何故、その時に限って、
(納豆を買いに行こう)
などと思ってしまったのでしょうか。
 たぶん、名俳優・森重久弥氏の迫真の演技が、私の脳髄の何かを刺激したのでしょう。

 気が付くと私は、なけなしのお小遣いを持って、近所の八百屋さんで納豆を買っていました。
 藁(わら)に包まれた水戸納豆。その、この世のものとは思われない魔性の力に、その時の私は引き込まれてしまっていたのでしょう。
 私の家では、納豆を食べないことを周知している、その八百屋のおばちゃんが、
「あんた、こんなんどうすんのん」
と、私に言っているのに耳を傾けず、一目散に家へ走って帰りました。

 家には、まだ誰も帰っていません。
 納豆の包みを、居間のちゃぶ台の上に置き、台所で、どんぶりにご飯を盛り、醤油と卵を用意している私の心の中は、何故か罪悪感でいっぱいでした。こんな姿を家の者に見つかってはいけない。何故かしら、そういう思いが私の胸の中に渦巻いていました。

 道具立てを、ちゃぶ台に整えた私は、はやる気持ちを押さえながら、納豆の包みをほどきました。
 しかし私は、その匂いに包みをほどく前から気づいていました。納豆は臭いものだという知識は持っていました。しかし、包みを開けるほどに強烈になっていくその匂いは、私の幼い経験から想像できるものとは、あまりにもかけ離れていました。
 私の頭の中に、ある疑問が浮かびました。
(もしかして、これは腐っているのかも・・・)
 その私の疑問は、ある意味正解だったのでしょう。納豆とは、腐っているものなのですから。

 私はその匂いと戦いながら、森重久弥氏が見せた、満足そうな表情を思い出していました。
 遂に、包みが開かれ、私の前に納豆が姿を表しました。その匂いは、最高潮に達しています。
 頭の中の疑問を打ち消しながら、
(この匂いは、ご飯に混ぜると消えるのだろう)
と、決め付けて、その黄金色の納豆を、どんぶりのご飯にぶちまけ、卵を落とし、醤油をかけ、闇雲にかき混ぜました。
(いつかは、天国が来る。いつかは天国が来る)
かき混ぜながら私は、お題目のようにそう唱え、次第に焦り始めた気持ちを、落ち着かせようと試みました。
 現実とは、何故、こんなにも厳しいものなのでしょうか。嗚咽を堪える私の期待と裏腹に、その、グチョグチョになってご飯と混ざり合っている、黄土色(醤油が多すぎたのだろうか、その時には黄金色では無くなっていた)の物体は、あざ笑うように強烈な異臭を放ち続けています。
 脳裏に、八百屋のおばちゃんの言葉が、ようやく納得出来る意味として、甦って来ました。
(・・・あんた、こんなんどうすんのん・・・)
(・・・あんた、こんなんどうすんのん・・・)

 遂に、来るべき時がやってきました。もうそれ以上いくら混ぜてみても、混沌としたその物体の異臭は消えそうにありません。無駄に時が過ぎると、家の者がいつ帰って来るやも知れません。
 その、幼い頃の私が『清水の舞台から飛び降りる』という言葉を知っていたかどうかは定かではありませんが、正に、その心境を身を持って味わったと思います。
 このまま捨ててしまいたい、という衝動を押さえつけ、どんぶりの中の、強烈な異臭を放つ、その黄土色の物体を、私は、小さな口の中に押し込みました。

 しかし、それは、咽喉を通過することはありませんでした。
 2・3度、口の中のものを咀嚼してはみましたが、こんな物は入れてたまるかと逆流してくる胃液を、私は押さえつけることは出来ませんでした。
 片手で口を押さえ、もう一方の手で、涙で霞む目を拭きつつ、私はトイレに逃げ込みました。

 やっとの思いで居間に帰ってきた私に、どんぶりの中のゲル状のものがあざ笑うように見えました。
 既に、匂いに麻痺してしまっている私は、その前に力なく座り込みました。
 大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちてきました。どんぶりのご飯をダメにしてしまったこと。わずかな小遣いをどうしようもない無駄なことに使ってしまったこと。どんぶりの中の残ったものを、どう処分していいのか解からないこと。
 情けなさと後悔の念に、私は大声を上げて泣くことしか出来ませんでした。

 そこに帰ってきたのが、母でした。
 居間に漂う異臭。黄土色のものが入ったどんぶり。散乱した藁と包み紙。私の泣き声・・・

 聡明な母は、事態の全てを飲み込み、優しげな笑みをたたえて、私につぶやきました。

「アホ」

 

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